こんな世の中でなければ…

すっかり遠ざかっておりました。

新年度になり、無事、長男次男は就職し、長男は新天地に一人暮らしの為、新しく生活拠点を構え、次男は勤務地が自宅から近い為、家から通っております。

長男は帰省するには、相当に骨折りな場所での勤務地になり、早く家を出したいと思っていた私ですら、ちょっと遠すぎでは…と思うほど離れた土地で勤務になりました。

今、絶賛ホームシック中だそうです。

あんなに、家を出たいと言っていた次男も兄の様子を目の当たりにして、地元での就職を心から喜んでいるのが現状です。

そんなこんなで春より長男の一人暮らしの準備、またコロナの蔓延で緊急事態宣言と、通常ではない日々を送っておりました。

緊急事態宣言も度々になると、緊急という言葉すら響かなくなってきている日常ですが、普段の生活必需品を購入の為か、飼い犬ぷうの散歩しか外出しない日々を送っております。

主人は海外赴任先より概ね1年半帰国出来ず、ラインで彼の顔を見ることしかできない日々で、なんともコロナが恨めしい毎日です。

また、先日義父が亡くなりました。

結局、主人が海外赴任の挨拶に行って以来、主人の両親には会っておりませんでした。

主人が海外から帰ってくるのも盆正月ではなく、勤務地の夏季休暇、旧正月に合わせるため、昨年の盆には私と息子だけで帰省する予定でしたが、義母より「そちらはコロナが流行っているから、今回は帰省を遠慮して。」と言われ、帰れずにいました。

当然、正月も同様で高齢の義両親にはコロナが流行っている土地より帰省してくる嫁と孫はたとえ陰性であっても、他府県ナンバーの車で帰ってくるのは嫌であったのだと思います。

正月明けで電話した時も、息子たちの就職活動がなかなか進んでいない、うちの状況を本当に心配しておられました。

それすら、息子たちに伝えると嫌そうに返事するような状態で、私も電話するのが億劫だったように思います。

やっと、息子たちの就職が決まり、義両親に報告したときは、ほっとしたものでした。

そうこうしているうちに、義父の病状が思わしくないと聞き、心から心配しておりました。

義父が亡くなったと聞いたときも、帰省する気持ちでしたが、

「今回は家族葬でするのだけれど、緊急事態宣言がでているあなた方の参列は遠慮して。」と義母より言われた時は、私たちも家族であるのに、それすら出れないとはと情け無い気持ちになりました。 

息子たちも、今回は相当辛かったようで、留年して就職をなかなかしなかった長男は特に祖父への不義理を後悔していたようです。

何より、帰国出来なかった主人の落ち込みは相当なもので、言葉をかけるのもはばかれるほどでした。

私も、先に自分の父を亡くしておりますが、たまたま死に目には会えました。

でも、私の父は大変辛い思いをして亡くなりました。

その様子を小さかった息子たちには見せずに終われたのを、私は心底良かったと今でも思っています。

人はこんなに死ぬのに辛い思いをして死ななければならないのかと正直思いました。

今回、私たちは義父の死に目には会えませんでしたが、闘病中は苦しそうであったようですが、死に際は眠るように亡くなったと聞いて、心から安堵致しました。

火葬の時間を知らせて頂き、おのおのの土地で空を見上げて手を合わせました。

本当に主人の家にお嫁に来れて良かったと思える義父でした。

口数は少なかったですが、温かい方でした。

残されたお義母さんがとても心配ですが、遠く離れていても心は寄り添いたいと考えております。

コロナでなければ、私たちの家族としての義両親への寄り添い方も色々と出来たであろうとおもうと残念でなりません。

早く収束することを切に願います。